ごめんなさい

こないだ見た作品はたまたまあんまり感銘を受けなかったヴォルフガング・ライブさんの「芸術には、世界のあらゆることと対面するための手段としての驚くような力が秘められている」ということばに全面的に賛成する僕ですが、
またしても茂木健一郎さんの話を聞きにいって来ました。今回はテーマがよくはわからず、あんまり準備もなく流れのままに話すという感じで、どんなオーディエンスなのかも把握されていなかったようで(僕もよくわからない)、芸大でも教えてるということもあり、半分アーティスト向け、のような感じもあり、長いお話で大変面白かったのですがやや物足りない側面もありましたが、前回の対談での相手でもあった椿昇さんや束芋さんも聞きにいらしており、後半はパネルディスカッション的要素もあってなかなか楽しかったです。
で、何の話かよくわからなくなった中、芸術批評のようなこともすることがあると言う氏の芸術感、みたいなものに触れることができ、それも共感できるものであったのでちょっと嬉しくなった次第です。よいものは良い批判的精神を持っているものだというのは大好きな三木先生が言ってることと同じだし、そしてそのためには他者と向き合うことが不可欠なのだというのも納得です(僕には足りていないことです)。今はまだ誰もが美しいと思ってるわけではないものを「美しい」側に持って来ることが芸術家の醍醐味だ、というようなこともいってました。
同じようなことを考えてるから嬉しかったというのはでもとても僭越なことで、あんな人がいるってことで自分は全然それほどの人物ではないしなり得ないと思っていろいろあきらめがつくような感じなんです。そもそも自分はたぶん学者になるのかなーと思うともなく思ってたし、むかし自分にとって最高の栄誉は金メダルや首相になることや社長になることではなくて、ノーベル賞だって思ってたんですけど。ま、中学の頃は数学をやりたかったんでノーベル賞、ないんですけど。それに、中学の範囲超えようって思ったことなかったし、その中でさえ学校で1番になったことさえないんですけどね。その頃はあんまり有名でなかったにしろ、数学オリンピックだってあったわけだし、世界があまりにも狭く、全く積極性というものがなかったな。
たぶん人って、時期によってなにが身に付くか変わって、最終的に多くの人はだいたいバランスが取れる(そしてバランスしない人こそはとんがったスペシャリストで、そういう人がいることもとっても大事。)んじゃないかと思うんだけど、僕はあの頃が数学の時期だったので、そのとき行けるとこまで行っとかなきゃ今からじゃもう無理、そのかわり当時からきし興味を持てなかった歴史とかについては旅行とかのおかげもあり今だんだん常識範囲を身につけつつあるのかな、と。だから何年生でこれだけ知ってなきゃ、とかいうのは無意味だよ。